Tuesday, May 03, 2005

Constitution Day!


A gathering sponsored by organizations opposing the amendment of the ConstitutionPosted by Hello

Today was the memorial day of the Japanese Constitution, born 58 years ago (to be exact, it came into effect May 3rd, 1947) and there were many events held debating the pros and cons of amending the supreme law of this nation.
It was our assignment today to cover the various events and I split up with two other colleagues to three different locations to participate in the gatherings.
I went to a gathering filled with members of the Japanese Communist Party and Social Democratic Party. The speaker gets a big hand each time the bell rings by criticizing the moves of the right wings trying to "change the Article 9 for the worse" which would in time lead the nation again "to a war fighting country".
There was always something fishy about the interpretation of the Constitution, each time debates about the Self Defense Forces appear on the center stage of public interest. There were always voices of a need of change in the Constitution to maintain the armed force, or perhaps a need of change in the SDF itself. I kinda feel we must do something with the supreme law, but at the same time I have the feeling of "WHY NOW?" too. We've lived a long time without messing with it and playing around with its interpretations.
To be more honest with this subject, I really would like to hear debates without all the political colors on the background. The need to change the Constitution should be fought over in a more nonpartisan environment.
Well maybe everybody would laugh at me, because everybody's all cool enough to know this all is nothing but a political tool... It's not the political parties that should talk so much about the Constitution, but the public which has the right to even control the parties. Don't let them control you! Think! From the first place, the Constitution is supposed to control these fishy parties and not the public! Well, at least I've started to think more of this subject than before and I'm an uncontrollable loyal nonpartisan!

some postscripts...

the distinctive Article 9 of the Japanese Constitution
is there a nation that gives up the right to fight a war??

RENUNCIATION OF WAR
Article 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.
(from the Japanese Government's HP http://www.kantei.go.jp/foreign/constitution_and_government/frame_01.html)

タイトル:憲法の日!

写真:憲法改正に反対する団体が主催した集会

きょうは憲法記念日。58年前のこの日に生まれたんやね(正確に言うと、1947年5月3日に施行された)。この国の最高法規を改正するべきかどうかを議論する様々なイベントが開かれた。
きょうの仕事はこうした様々なイベントを取材することで、2人の同僚記者と手分けして3か所の集会に参加した。
とりあえず共産党員と社民党員で埋め尽くされた集会に行ってきた。演説者が鐘を鳴らすたびにすっげー拍手が起きる。右派が「憲法9条を改悪」して、そのうちこの国を再び「戦争を起こす国」に導こうとしているという批判をするたびにね。
憲 法の解釈はいつもうさんくさい。自衛隊のことが国民の関心に挙がるたびに出るやつ。武力を保持するためには憲法を変える必要があるという声がいつも挙が る。むしろ自衛隊自体を変えるべきじゃないのって言う声も。何となくこの最高法規を何とかしなきゃいかんなとも思うし、「今さらなんで?」という気持ちも ある。だって別に憲法自体をいじることなく、解釈をいじくり回すことで長い間やってきたやん。
もっと正直な気持ちを言うと、この話題については背景の政治色を全く無くして、議論を聞きたい。憲法改正の論議はもっと不偏不党な環境で行うべきやね。
まぁ、たぶんみんな笑うやろうね。みんな冷めてて、これは全部単なる政治の道具だって分かってるもんね…。憲法については政党じゃなくて、政党さえも規制する権利を持つ国民がもっと話し合うべきなんやろうね。あいつらに支配されたらあかんて!考えてみぃ。もともと憲法はこうしたうさんくさい政党を統制するべきで、国民を統制するもんやないっしょ!まぁ少なくとも俺はもっとこの話題について考えるようになったし、俺は支配されない忠実な無党派やしね。

ちょっと後書き…

日本国憲法の特徴的な第9条
戦争をする権利を放棄してる国って他にあるんかな??

 〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
(官邸のホームページから抜粋 URL)
(日本語版は衆院のホームページから http://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/nihonkokukenpou.htm

(today's word)
control 支配、管理、監督、制御、統制、規制
 上(国)から下(民衆)を押さえ付ける「支配」、
 下(国民)から上(政府)に目を光らせる「規制」、
 規範(法律)で社会(国民)を取り締まる「統制」
 同じ話題で色んな使い方ができる便利な言葉ですね。

8 comment:

Anonymous said...

 憲法改正論議から政治色をなくすのはやっぱり不可能なんじゃないかな?ヒデの言いたいことは分かる。政治じゃなくて政策として憲法改正を議論すべきだということを言いたいのだと思う。だけど、特に9条は、我々が何のために武力を使うのか、という問題に触れるので、政治信条が絡まざるを得ないと思う。
 9条改正では集団的自衛権行使の是非が一つの核心をなすわけだけど、集団的自衛権の行使が問題となる場面として、日本を守ろうとする第三国と行動を共にする場合(国家安全保障目的)と、同盟国の実施する介入や防衛に加わる場合(国際安全保障目的)とがあると思う。
 国家安全保障目的の集団的自衛権行使については、おそらく既に潜在的なコンセンサスがあるのではないかと思う。これは限りなく個別的自衛権に近いしね。
 問題となるのは、国際安全保障目的の集団的自衛権行使だろう(e.g.03年のアメリカのイラク介入前夜のような場面)。日本国民は果たして自国に直接脅威を及ぼしていない国に対して、日本への脅威以外の理由に基づいて自国政府の武力行使決定を支持するだろうか?僕には支持するとは思えません。日本は、そういう歴史も文化も伝統も世界観も持っていないからです。
 以上を踏まえて、改めて集団的自衛権は合憲化されるべきかを問いたい。僕は、上記の国際安全保障目的の集団的自衛権行使に対する疑義にもかかわらず、あえて合憲化すべきだと思う。なぜなら、第一に、日本国民が武力行使の是非を自ら議論し、問わなければならない環境を制度的に生み出すことで、初めてこの問題に向き合うと考えるから。第二に、自衛隊を世界に派遣できるような状況の中で、いかなる理由で派遣を行い、いかなる理由で派遣を控えるのかを、個別具体的な場面で明らかにしていくことによってこそ、日本が再び近隣国に脅威を及ぼす国となるのか、近隣国の信頼を勝ち取る国となるかの選択を行う契機が生み出されるから。出来れば、日本国民には、諸外国の日本に対する信頼を定着させる選択を積み重ねてもらい、国際的な意味での日本の戦後を迎えたい。その時こそ、日本は真の意味での政治大国になるのだと思う。

hide3 said...

Mr. Satoru
コメントありがとう!
政治色をなくすことは不可能かと思いながらも考えを書きました。
憲法話は今や集客のための重要なコンテンツ。政党側がきっと手放さないでしょう。左派にとっては、教育基本法の改正や福祉絡みの政策見直しなどとも絡められるので、それをひっくるめて支持者に訴えやすいのでしょう。右派もここ最近の色々なゴタゴタを棚に上げて、例えば改正の前提としてそもそも「GHQに押し付けられた憲法だ」という分かりやすいフレーズを入れて、弱まっている支持者の求心力アップを目指しているところもある。
憲法改正に政治は不可欠かも知れないと感じるのは、一般の人たちがこの話題について、不勉強なのかも知れないと言う危惧もあるからだ。「戦後60年、一つの国として独自の憲法を作ろう!」「憲法改正は戦争をする国へ向かう第一歩だ!」。お互いこのスローガンを言う度に観客が盛り上がる。現場で取材していると、「ちょっと違うんじゃないの?」と思ってしまう訳だ。
日本人は本来、ものすごく勉強熱心な人たちだと思う。自分たちで国を作り上げたことに誇りを持つが故にかえって建国や国の威信にかかる話題については論議が起きないアメリカと違って、日本は国のあり方について国民が具体的に議論しあえるところだと信じている。
しかし、どうだろう。政治家の分かりやすいスローガンに拍手をしているだけに見えるんだ。世論調査では、憲法改正に賛成な人が多いという。その人たちにではなぜそう思うのか、なぜ今までそう言わなかったのか聞いてみたい。どこをどうするべきか、そしてどうして今の憲法ではそれではダメなのか、具体的に述べよと言ってもどれぐらいの人が説得力のある答えをくれるだろうか。
日本人は勉強熱心で関心が高いからこそ、現在の憲法でも「解釈」で議論をし、PKOやイラク派遣の話題を乗り切ってきた。しかし、それは政治主導だった。それ以外の憲法解釈の課題、例えば選挙の一票の格差や外国人の差別などの問題でも議論ができる人たちに敬意を表したいが、最終的に違憲か合憲かの判断を政治以外、つまり裁判所などが公平な機関が判断したのは、時間が与えられる話だけだ。そうじゃないすぐの行動が求められる自衛隊絡みの問題(イラク派遣は思ったより時間があったが、例えばインド洋に給油のために海自輸送艦を派遣したテロ特問題)は確かに政治主導で「解釈」をして、判断を下してきた。
憲法改正に政治は介入して欲しくないと願うことは、結局は現憲法の解釈を政治に好きなようにさせてしまうことになるのかも知れない。
そんな俺もまだまだ勉強不足だ。特に集団自衛権のことについて判断を下すためには、もう少し勉強が必要だと思う。政治家に負けないように、自分の意見をきっちり持つために議論をしておきたいね!

Anonymous said...

 憲法改正に関して、国民が政党や政治家のスローガンに拍手喝采していて、もしかしたら国民は不勉強なのかもしれないとの危惧は、僕にはない視点でした。これはきっと現場を目の当たりにするヒデの職業ならではの感想なのかもしれないね。僕は、政党の集会というやつに足を運んだことはないんだけど、新興宗教がかっているという話をよく耳にします。そもそも政党の集会に参加する「党員」ってのは、日本国民全体の中でみるとかなり特殊な層なのかな?所属政党への忠誠心の高い日本人って稀なのではないかと僕は思ってきました。かなりの数にのぼると言われる無党派層は、根強い政治不信を抱いていて、彼らは、政党・政治家のスローガンに対して、むしろ冷ややかな目で見ているのではないか、と。
 なぜいま憲法改正なのか。クールな無党派層とでも言える人々は、憲法の違憲・合憲にかかわる問題に関して、「本来なら改正も含めてじっくり検討すべきだが、現実的に見て間に合わないから解釈で対応するよりほかない」と考えてきたし、いまも考えているんだと思う。これをプラグマティズムと呼ぶのか、ニヒリズムと呼ぶのか、正直言って難しい。現状に不満を抱きつつも、自らイニシアティブをとることはしない。これが現在の日本人のおおかたの政治姿勢の特徴と言えるんじゃないかな。憲法改正についても「やるんだったらやるべき。でも、やらないんだったら、やらないでもいい。問題が生じれば、解釈で対応するよりほかないでしょ。」という姿勢できたんだと思います。政治家は、こうした姿勢を感じてきたから国民投票まで持ち込んでも成果は挙がらないとの判断を持っていたんだと思います。ところが、冷戦が終わって、91年湾岸戦争で掃海艇を派遣しても感謝されなかったり、北朝鮮が核を開発したり、ミサイルを発射したり、9・11テロの映像を見たり、イラクに自衛隊を派遣したりしている内に、なんだかきちんとした自衛力と防衛体制を整えないといけないんじゃないかということを国民が徐々に実感するようになってきた。この間、憲法解釈で対処してきたわけだけど、理屈をこねくりまわす憲法解釈というものへの違和感は確実に存在していて、漠然とした不満あるいは不安が鬱積してきたということだろうと思う。ヒデの言うように、政党もこの辺は抜け目がなくて、こうした不満と不安を集票に結びつけようとしている。結党XX周年ということを口実にしてはいるものの、憲法改正の時機が熟してきた(=国民の不満と不安が臨界点に達しつつある)ことを政治家も肌身で感じている証拠だと思う。環境の変化と、憲法という規範・制度の不十分さに対する国民の不満と、政党の利益追求が重なり合って初めて憲法改正が実現するのかなと思います(あとは政党間の妥協といった他の要素も必要かもしれないけど)。これらの流れが合流しつつあるのがいまなのではないか、と。
 政党・政治家のスローガンと国民。憲法改正論議では、政党政治は一定限度で貢献するのではないかとも思う。二大政党制よりも、2つの中規模政党と2つの小規模政党がそれぞれ改正案を出すことで、無党派層は、選択肢(や視野)を広げられるし、争点も明確にされるのではないかと。「党員」は自身の所属党の改正案にまっしぐらだろうけど、それはそれでいいと思う。憲法改正が国民投票を要件としている日本において、僕ら無党派層は、政党政治にある種の意義を初めて見出せるのかもしれない。
 悪いね、ずらずら書いて。返事は不要なので、読み流してくださいな。

hide3 said...

読み流すだけということはありませんが、勉強不足であまり好き勝手に書くほどの知識は持ち合わせていないとは思っています。まぁ、自分の日記に書いてるから、それほど深刻には考えていないが。
ということで、相変わらず勝手な解釈に走ってしまうが、そもそも「無党派層」への認識が違うのかも知れない。選挙の取材を長く担当してきたが、適当に「風」に流される人たちという認識を持っている。テレ朝の狙いがずばり当たり、自民党を初めて野党に追い込んだ人たち、小泉が台頭すると、何も考えずに小泉ポスターを買いあさり、目が飛び出るような数字で訳のわからん議員も通してしまった「あの」無党派層…。
そのように大量にいる「無党派層」とは別の層がいることを信じたい。俺のように選挙自体に嫌気をさしている「無投票層」と言うべきだろうか。(ちなみにこの前の選挙では白票を投じたので、無投票ということでも無いかも知れないが)。その人たちの中には、政治を冷たい目で見ていて、いつか自分たちが考える政治を行ってくれる政治家を待って、シビアに情勢を分析している人たちもいると思う。
中長期的に政治(=もっというと政治史)をとらえられるその人たちは憲法改正の議論にも目を向けていることと思う。そういう人たちにとって、今は臨界点に来ているんだろうか?そしてそれは、次の選挙でも投票をするべきだと考えられる臨界点だろうか?その時、憲法改正議論が彼らを投票に導く一つの争点となっているのなら、まさしく政治と憲法改正が動くことになり、成熟した政治大国への第一歩を踏み出すことに成り得るんだと見た。
しかし、最近こういう話をあんまりしてなかったなぁ。また飲みながら話そうぜぃ!

Anonymous said...
This comment has been removed by a blog administrator.
Anonymous said...

いや、僕だって全く勉強しないで勝手な感想を書いていたので、まともに反応させて申し訳なかった。研究ばっかりやってると、感想とか直感だけでものを書くことが許されないので、今回こうやって好き勝手に書いてみて快感でした。また飲みに行った時にでもゆっくり話そう。「無党派層」だの「無投票層」だの、言葉の定義からして共通の了解を築かないと、煮詰まった議論をするのは難しいね。

hide3 said...

コメント遅れました。
確かに研究だとしばりが厳しいだろう。それは記者にとっても一緒のことだ。
勿論、自分の思いを伝えようと努力はするが…。
この日記はそんな自分の思いだらけだし、そこにコメントしてくれるとはありがたいものだ。
ばしばし好き勝手に書いてもらいたいッス!

hide3 said...

あ、ちなみに同じコメントが2回書き込まれていたので、1回目のは消しました↑